本学バイオ研究基盤支援総合センター 櫻井実教授らのグループは,独立行政法人農業生物資源研究所と共同で,アフリカ中部半乾燥地帯原産のネムリユスリ カという昆虫が,体内に蓄積した大量の水代替物質トレハロースを利用して極限環境耐性能力を獲得するメカニズムを世界で初めて明らかにした.
生物の体の60~70%は水でできており,水は生命の営みにとって必須な蛋白質,核酸あるいは細胞膜などの構造や機能を維持するのに重要な役割を果たして いる.そのため脱水状態になると普通の生物は死んでしまう.しかし,ネムリユスリカ1) の幼虫はほぼ完全に脱水しても死なずに,乾燥に耐えることができる.もちろん脱水状態ではすべての代謝活動が停止しており,あたかも物質のような状態に なっているが,再び水を吸うと蘇生する.したがって,ネムリユスリカは生物と物質の間を行ったり来たりできると言える.
東京工業大学バ イオ研究基盤支援総合センターでは,このたび農業生物資源研究所と共同で,このネムリユスリカ幼虫の乾燥耐性メカニズムの一端を解き明かした.この幼虫は 乾燥状態に置かれると,失われてゆく水に代わってトレハロース2) という糖を体内に大量に蓄積する.このことはすでに農業生物資源研究所のグループの以前の研究から分かっていたが,今回の共同研究ではこのトレハロースが 幼虫の体内のどこに蓄積されて,それがどのような物理的状態になっているかを明らかした.結論を言えば,この糖は水の代わりに幼虫の体内にほぼ均一に分布 し,ガラス化していることが判明した.“ガラス”というのは,まさに窓ガラスのように硬く固まった状態のこと.ガラス状態の物質はある温度以下では非常に 安定で,その中に不安定な物質(蛋白質のような分子など)をカプセルのようにして閉じ込め,安定化させることができる.つまり,脱水したネムリユスリカ幼 虫の中では,蛋白質や細胞膜がトレハロースのつくるガラスによって保護されているため,再び吸水したとき元の状態に戻れるのである.
トレ ハロースは,自然界では,きのこ類や酵母の他,乾燥に強い幾つかの動植物に含まれており無毒の物質.この糖は,近年食品や化粧品分野で鮮度保持や保湿剤と して使われたり,医学関係では臓器保存液の中にも入っている.ネムリユスリカに倣って,この糖を生物の乾燥保護剤として応用するには,この糖を細胞に自由 に出し入れする必要があるが,農業生物資源研究所では既に,トレハロースを特異的に細胞の内外に輸送するタンパク質の遺伝子をネムリユスリカから単離する ことに成功している(平成19年7月6日プレスリリース).この成果と今回の研究成果を組み合わせれば,細胞等生体組織を生きたまま常温乾燥保存する技術 の開発や,乾燥に強い作物の作出等を効率的に推進することができると期待される.
今回の研究は,(独) 農業・食品産業技術総合研究機構 生物系特定産業技術研究支援センター「新技術・新分野創出のための基礎研究推進事業「ネムリユスリカの極限環境に対する 耐性の分子機構の解明(研究代表:奥田隆,平成16年度~20年度)」で実施されたもので,成果の概要は,3月25日に米国科学アカデミー紀要 (PNAS;http://www.pnas.org/)に,オンラインで公表された.
用語解説
1)ネムリユスリカ
ア フリカ中部に広がる半乾燥地帯にのみ生息するユスリカの一種で,成虫は形態的には蚊に似ているが吸血はしない.幼虫は岩盤の窪み等にできた小さな水溜りで 生活する.カラカラに乾燥(含水率3%)しても,水に戻せば1時間程度で蘇生する.通常の遊泳時には幼虫体内には血糖として極わずかしかトレハロースを含 まないが(2.5%),乾燥過程における爆発的な体内合成により最終的には同糖が乾燥体重の約20%を占めるようになる.このため,同糖が水に代わって幼 虫の細胞膜やタンパク質を乾燥ストレスから保護するものと考えられてきた.
2)トレハロース
ブドウ糖2分子がそのアルデヒド基末 端同士で結合(α,α-1?1-グリコシド結合)してできた二糖類である.この糖は非還元性であるため,生体内に高濃度で存在してもタンパク質やアミノ酸 と褐変性反応を起こさず,殆ど無害である.トレハロースは,きのこ類,酵母,海老,海藻類に比較的多く含まれ,食品の成分の1つとして古くから人間も摂取 してきた.工業的には澱粉を酵素で加水分解して製造され,近年,その商業的な利用も盛んである.
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