【概要】
東京工業大学フロンティア研究機構の鈴木邦律特任助教と大隅良典特任教授らの研究グループは、オートファジー(用語1)と呼ばれる細胞内の分解システムが、真核細胞のゲノムをトランスポゾン(用語2)と呼ばれる「動く遺伝子」による損傷から守るシステムとして機能していることを発見した。この発見により、哺乳動物における腫瘍発生の原因のひとつがトランスポゾンによるゲノムの不安定化である可能性が浮かび上がった。今後は哺乳動物において、オートファジーによるトランスポゾンの制御に注目した研究の展開が期待される。
同グループはパン酵母を使用し、トランスポゾンの一種であるレトロトランスポゾン(用語3)の生活環に必須なタンパク質が、オートファジーにより選択的に分解されていることを見いだした。さらにオートファジーによる選択的な分解ができない細胞では、レトロトランスポゾンにより、パン酵母のゲノムに高頻度で変異が導入されることを明らかにした。
この成果は8月16日付米科学誌「ディベロップメンタル・セル」(用語4)に掲載される。
【研究の背景と経緯】
同研究グループは動植物と同じ真核生物である単細胞生物のパン酵母を使って、オートファジーの機構解明に取り組んでいる。オートファジーは自食作用ともいわれ、真核細胞が自己の構成成分である細胞質やオルガネラ(細胞内の小器官)を食べる(分解する)現象である。酵母は栄養源がなくなった時にオートファジーによって細胞内の成分を再利用して生命を維持していることが分かっている。
一方、トランスポゾンは細胞内でゲノム上の位置を転移することができる「動く遺伝子」である。近年のゲノムプロジェクトの進展により、トランスポゾンはヒトゲノムのほぼ半分、高等植物においてはゲノムの70%以上を占めることが明らかとなった。トランスポゾンは自身が宿主のゲノム中を動き回る特性を持つことから、宿主の遺伝子発現を変化させたりゲノムを組み換えたりして、生物の環境適応や進化に大きく貢献してきたと考えられている。
パン酵母において最も多数を占めるトランスポゾンである「Ty1」は、レトロトランスポゾンと呼ばれるグループに属し、その生活環はヒト免疫不全ウィルス(HIV)などのレトロウィルスと類似している。レトロトランスポゾンは自分自身をリボ核酸(RNA)に転写した後、デオキシリボ核酸(DNA)に逆転写して転移するタイプのトランスポゾンである。
パン酵母のゲノム中に組み込まれたTy1の遺伝子が転写・翻訳されると、「Ty1ウィルス様粒子(VLP)」(用語5)が細胞質に形成される。RNAからなるTy1のゲノムはTy1 VLPに積み込まれた後に、逆転写される。その産物がパン酵母のゲノムに組み込まれることによってTy1の生活環は完結する。これまで、Ty1の生活環と細胞内の分解機構との関係は全く不明であった。
【研究成果】
パン酵母「Saccharomyces cerevisiae」の主要なレトロトランスポゾンTy1の生活環に必須なTy1 VLPの局在を電子顕微鏡法と蛍光タンパク質を使用した蛍光顕微鏡法により解析したところ、Ty1 VLPは細胞内の一カ所に集積し、オートファジーによって選択的に分解されることを突き止めた。
またTy1 VLPの選択的分解に必要なタンパク質を分子遺伝学的解析手法によって同定した。選択的オートファジーの機能を失わせた酵母細胞はTy1 VLPを効率よく分解できない。結果としてレトロトランスポゾンがパン酵母のゲノムへと高頻度で挿入され、ゲノムが広い範囲で損傷を受けることが分かった。
【今後の展開】
哺乳動物では、オートファジーの破綻が腫瘍の発生につながることが知られているが、腫瘍形成に直接関わる原因は明らかになっていなかった。今回の発見により、その原因のひとつがトランスポゾンによるゲノムの不安定化である可能性が浮かび上がってきた。
この研究結果は選択的オートファジーが真核細胞のゲノムを安定化するという基礎的な知見をもたらしただけではなく、オートファジーによるトランスポゾンの活性制御が腫瘍の発生と関連する可能性を提示したという点で医学的にも大きな意義をもつ。今後の哺乳動物における解析が待たれる。
【用語説明】
(1) オートファジー:パン酵母から高等動植物に至るまで、真核生物に広く保存されているタンパク質分解システムのひとつであり、細胞質やオルガネラを大規模かつ一括して分解可能である。従来は非選択的な分解システムだと考えられてきたが、最近になって選択的に分解される標的タンパク質が数多く報告されるようになってきた。
(2) トランスポゾン:ゲノム中に多数存在する「動く遺伝子」の総称。トランスポゾンはヒトゲノムのほぼ半分、高等植物においてはゲノムの70%以上を占めることが知られている。
(3) レトロトランスポゾン:トランスポゾンの一種であり、RNAに転写された後にDNAに逆転写されることでゲノムの別の部位への組み込みや増幅が行われる。
(4) 米科学誌ディベロップメンタル・セル(Developmental Cell):エルゼビア社セル出版の発行する、発生生物学の専門科学雑誌。科学雑誌の影響度を表す指標とされるインパクトファクターは13.946で、発生生物学関連38誌中2位(総説誌を除けば1位/トムソン・ロイター社 2010 Journal Citation Reports)
(5) Ty1ウィルス様粒子(Ty1 virus-like particle(VLP)):Ty1レトロトランスポゾンのゲノムがRNAからDNAに逆転写される場としてTy1の生活環に必須な構造体。タンパク質の殻で囲まれたウィルスの様な形状をしており、パン酵母の細胞質に集合体として存在する。
本件に関するお問い合せ先 |
鈴木邦律
フロンティア研究機構 特任助教 |
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kuninori@iri.titech.ac.jp | |
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