JST目的基礎研究事業の一環として、東京工業大学 大学院理工学研究科の腰原 伸也 教授らは、光によって分子内に100億分の1秒の間だけ出現する分子磁性と分子構造の変化を時間分解X線吸収微細構造(XAFS)法注1)により直接観測することに成功しました。
光を用いた物質の状態制御は、太陽光エネルギーの有効利用や次世代の光情報処理素子の開発のためのキーテクノロジーとして期待されており、特に光により磁性が変化する物質は、超高速光通信に必要不可欠な光スイッチングデバイスへの応用の観点から注目を集めています。今回の測定手法は、溶液中でランダムに配向した分子内で、たった100億分の1秒だけ出現する分子磁性と分子構造の変化を鋭敏に検出することを実現するものであり、新たな超高速光磁気デバイスの開発のための基盤的な測定法として寄与することが期待されます。
本研究は高エネルギー加速器研究機構(KEK)の足立 伸一 准教授と野澤 俊介 特別助教(元 JST 研究員)、自然科学研究機構 分子科学研究所の藤井 浩 准教授と共同で行われました。
本研究成果は、米国化学学会誌「Journal of the American Chemical Society」のオンライン速報版で近日中に公開されます。
本成果は、以下の事業・研究プロジェクトによって得られました。
戦略的創造研究推進事業 ERATO型研究
研究プロジェクト名:「腰原非平衡ダイナミクスプロジェクト」
研究総括:腰原 伸也(東京工業大学 大学院理工学研究科 教授)
研究期間:平成15~20年度
JSTはこのプロジェクトで、新しいナノ、オングストローム観測技術を開発し、動的非平衡構造学という新たな領域を創成するとともに、その成果を用いて、既存材料にはない高効率かつ高速応答性を持った画期的な光電機能材料の創成を目指しています。
●研究の背景
人類にとって理想的なエネルギー源である太陽光を用いて、光エネルギーをより利用しやすいエネルギーの形態に変換・貯蔵し、有効利用のための高効率システムを構築することは、持続可能な社会の実現に向けた重要な研究課題です。また光を用いた物質の制御は、次世代の光通信や光情報処理素子開発のためのキーテクノロジーとして期待されており、特に光により磁性が変化する物質は、超高速光通信に必要不可欠な光スイッチングデバイスへの応用の観点から注目を集めています。より良い機能を持った新物質設計を行うためには、その基礎的な情報である光による分子内の高速な磁性の変化と、それに伴う高速な分子構造の変化に関する情報を得ることが極めて重要です。しかし、これまでの最新技術をもってしても高速で変化する分子の磁性を観測することは極めて困難であり、また分子磁性と分子構造変化を同時に測定することは不可能でした。
●研究の成果
本研究では、新たに開発されたXAFS法を用いることにより、光によって分子内に100億分の1秒の間だけ出現する磁性と分子構造の変化を直接観測することに成功しました。
本研究の対象としたサンプルは、1個の鉄原子の周りをフェナントロリンと呼ばれる3個の有機分子が取り囲んでいる分子集合体です。このような分子集合体を一般に金属錯体と呼び、この分子を特に、鉄フェナントロリン錯体と呼びます。この鉄フェナントロリン錯体は水に溶かすと綺麗なワイン色の溶液になりますが、非常に高強度で短い時間幅を持つ青色のレーザー光(パルスレーザー光と呼びます)を照射すると、パルスレーザー光のエネルギーを吸い込んで、分子の色が変化し、700ピコ秒(100ピコ秒:100億分の1秒)という非常に短い時間で元の状態に戻るということが以前から知られていました。この現象は錯体分子の中心にある鉄原子の状態がレーザー光によって過渡的に変化し、元に戻ったことに対応します。
分子の色が変化していることで、分子中の磁性と分子構造が変化していることが予想されますが、実験的にその詳細なメカニズムを調べるためには、磁性と分子構造の変化を一度に測定することができるXAFS測定が最も有効な手法です。ただし、一般的なXAFS測定は高速現象の測定には適さないため、特殊な方法で強力な短パルスのX線を利用する必要があります。本研究は、KEKの放射光科学研究施設(PF-AR)の時間分解X線ビームラインNW14Aを使い行われました。このビームラインは高速な物質の状態変化を原子サイズの分解能の動画として観測するために、JSTとKEKとの共同研究により特別に設計・建設されたビームラインです。このビームラインでは、レーザーパルスとX線パルスを交互に繰り返し入射する測定法(ポンプ・プローブ法と呼びます)によって、周期的に非常に短い間だけ出現する状態を、100ピコ秒幅のX線を用いてとらえることができます。
本研究グループの足立准教授と野澤特別助教は、このビームラインを利用して時間分解XAFS実験を新規に開発することで(図1)、鉄フェナントロリン錯体の色の変化を、分子の磁性および分子構造の変化として観測することに成功しました。その結果から、光励起後の鉄フェナントロリン分子中では、700ピコ秒の間だけ、鉄原子の電子スピン注2)の配置が変化して磁性が出現し、その影響で鉄とフェナントロリンの結合距離が0.198nmから0.215nmへと約10%伸びて分子構造が変化し、鉄とフェナントロリンの間の結合が弱くなっていることが明らかとなりました(図2、図3)。この結果は、図4に示すように、溶液中でランダムに配向した分子が、光によって700ピコ秒という非常に短い間に一瞬だけ分子磁石へと変化し、すぐに元の状態へと戻っていく様子を、これまで実現不可能であった空間精度と時間精度でとらえることに成功したことを表しています。
●今後の展開
本研究で開発された時間分解XAFS法によって、原子スケールにおける、極めて短い時間(100億分の1秒)の機能(磁性)の変化を、その機能変化と結びついた分子構造の変化と合わせて同時に直接観測することが可能となりました。これは超高速な光磁性現象のメカニズムを知ることができるという意味で極めて画期的なものです。このように光によって、分子磁性が超高速に変化する現象を詳しく探求することで、超高速な超微小メモリやスイッチの開発が推進されることが期待されます。
また、時間分解XAFS法は試料形状を選ばないため、固体だけでなく、液体や気体のように結晶でない試料に対しても適用可能です。したがって分子磁石、磁性触媒、生物磁石といった、分子中の磁性を利用した新技術における反応機構解析・物質設計に大いに役立つことが期待できます。さらには、太陽光エネルギーの有効利用に向けて、新規太陽光発電技術の開発や光触媒反応によるCO2固定化など、光エネルギー利用技術の高効率化を目指した基礎測定技術としても、今後の発展が期待されます。
●用語解説
注1) 時間分解X線吸収微細構造(XAFS)法
通常のXAFS法は、X線領域の吸収スペクトルに観測される微細構造を測定する実験手法である。吸収端近傍の構造から吸収元素のスピン状態と結合状態に関する情報が得られる。またX線を吸収した原子が放出する光電子が周りの原子から散乱を受けることによって、吸収端から広い高エネルギー領域には振動構造が生じ、この振動構造を解析することで原子スケールの構造情報を得ることができる。この手法を発展させ、パルスX線を用いた時間分解XAFS法によって、高速に時間変化している物質の状態を動画のように測定することができる。ERATO腰原非平衡ダイナミクスプロジェクトでは、KEKの放射光科学研究施設で、世界で初めて時間分解X線測定専用ビームラインを建設し、この分野の研究を開拓している。
注2) 電子スピン
電子が持つ磁気的性質。鉄フェナントロリン錯体の磁性は鉄の3dと呼ばれる電子軌道にある6つの電子が持つスピンによって決まる。スピンには上向き、下向きの2種類があり、1つの軌道には逆向きのスピンが1つずつ入ることができる。通常、エネルギーの低い軌道からスピンが入っていくため、レーザー励起前のスピン状態は互いに打ち消しあい磁性を持たない。サンプルがレーザーに励起されるとスピンはエネルギーの高い軌道に移ることができ、このスピン状態だと互いに打ち消しあうことができないため磁性を持つことになる。
●論文名
“Direct Probing of Spin State Dynamics Coupled with Electronic and Structural
Modifications by Picosecond Time-Resolved XAFS”
(ピコ秒時間分解XAFSによる電子状態と構造変化に結合したスピン状態ダイナミクスの直接観測)
J. Am. Chem. Soc., Articles ASAP (As Soon As Publishable)
Publication Date (Web): December 16, 2009 (Communication)
DOI: 10.1021/ja907460b
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