【概要】
東京工業大学バイオ研究基盤支援総合センターの廣田順二准教授らの研究グループはフェロモン分子(用語1)を感知する神経細胞の生成メカニズムを解明した。フェロモン感知神経細胞は、機能するフェロモン受容体の種類によって大きく2タイプに分類される。この分化を「Bcl11b」という転写調節因子が制御していることを突き止めた。また2タイプの神経細胞ができる過程は、それぞれが独立に分化しているのではなく、まず共通の未成熟な神経細胞がつくられ、そこにBcl11bが作用して2タイプの機能的な神経細胞に分かれていくことが分かった。
これまで、2タイプの神経細胞は共通の前駆細胞(用語3)からつくられることは分かっていたが、いつ・どのようなメカニズムで神経細胞が2通りの運命の片方を選択し、最終的に神経細胞として機能するようになるかは不明だった。今回はBcl11bの機能を失わせたマウスを用いて、Bcl11bが2タイプの神経細胞への運命決定を制御していることを実証した。
この成果は米国神経科学会誌「ジャーナルオブニューロサイエンス」7月13日号に掲載される。
【研究の背景】
鋤鼻(じょび)神経系(用語2)はフェロモン分子を感知し、性行動・縄張り行動・子育て行動などの動物の本能的な行動を誘導する感覚神経系である。ヒトでは鋤鼻神経系は退化してその痕跡が残っているだけだが、ほとんどの哺乳動物は鋤鼻神経系を有し、個体の生命維持活動において非常に重要な役割を果たしている。
マウスの鋤鼻神経細胞は、2種類のフェロモン受容体遺伝子ファミリー「V1r」と「V2r」のいずれかを発現しており、それらがコードするタンパク質によってフェロモン分子を受容し、そのシグナルを脳に伝達する。フェロモンシグナルの伝達過程においてV1rとV2rがシグナルを受け渡す分子であるGタンパク質は異なり、V1rは「Gαi2」と、V2rは「Gαo」を共役している。つまり鋤鼻神経細胞は、「V1r-Gαi2型」と「V2r-Gαo型」の2タイプが存在する。それぞれ「V1r-Gαi2型」神経細胞は揮発性フェロモンを感知し、「V2r-Gαo型」神経細胞はペプチドなどの不揮発性フェロモンを感知すると考えられている。
これまでの研究から、これら2種類の鋤鼻神経細胞は共通の「Mash1遺伝子」(用語4)を含む神経前駆細胞から産生されることが知られていたが、どのような分子メカニズムで神経細胞が分化し、最終的に2タイプの神経細胞がつくられているのかは不明だった。同研究グループは、外来分子を認識する系として、鋤鼻神経系と免疫系に認められる類似性に着目し、共通して発現する転写因子を網羅的に同定し、その中でもBcl11bに着目して鋤鼻神経系における機能を解析してきた。
【本研究で得られた結果・知見】
今回、Bcl11b遺伝子ノックアウトマウスを用いた解析によって、Bcl11bが鋤鼻神経系の正常な形成に必須な因子であることが明らかとなった(図1)。またMash1遺伝子ノックアウトマウスで認められるような神経細胞がつくられないという異常ではなく、神経細胞が生み出されたあとの異常であることを示した。
その異常の1つが2種類の鋤鼻神経細胞の比率の変化である。つまりBcl11b遺伝子ノックアウトマウスでは、産生される神経細胞の総数に変化はないが、V1r-Gαi2型神経細胞が増加し、逆にV2r-Gαo型神経細胞が減少していた(図2)。このことから、神経細胞がつくり出されたあとに2通りの運命のどちらかを選択するかが決まり、その運命決定をBcl11bが制御することが明らかとなった。興味深いことに、胎生期において生まれたばかりの神経細胞では、すべてのGαi2発現細胞はGαoを一緒に発現していた。この共発現は、成体においてもつくられたばかりの幼弱な神経細胞でみられた。これまで2種類の神経細胞は互いに独立に分化していると考えられてきたが、今回の結果はそれとは逆で、鋤鼻神経細胞はまず共通のGαo発現細胞としてつくられ、そこからV1r-Gαi2型神経細胞とV2r-Gαo型神経細胞がつくられていることが示唆された(図2)。
【研究の今後の展望】
Bcl11bは免疫系T細胞の運命決定においても重要な役割を果たしていることが報告されている。鋤鼻神経系と免疫系の2つの系においてBcl11bは何らかの共通する機能・現象を制御するものと考えられる。転写因子としてのBcl11bの詳細な分子作用機序にせまる研究が期待される。また本研究によるBcl11b遺伝子の発現解析とノックアウトマウスの解析によって、鋤鼻神経細胞の運命の決定が神経細胞へ最終分化段階以降に制御されていることが示された。これは最終分化後のニューロンのタイプを変えられる可能性を示唆するものであり、Bcl11b遺伝子の下流因子の探索と機能解析を含めた今後の研究が期待される。
[研究グループ]
この研究は、東京工業大学生命理工学研究科生物プロセス専攻博士課程の榎本孝幸、修士課程の岩田哲郎、鵜野絢子、斎藤真人、山口達也、バイオ研究基盤支援総合センターの廣田順二准教授、東大大学院農学生命科学研究科の松本一朗特任准教授(現モネル化学感覚研究員)、應本真特任助教、新潟大学医歯学総合研究科の木南凌教授により行われた。
[研究サポート]
本研究の一部は、文部科学省科学研究費補助金・若手研究B(應本)、若手研究A(松本)、基盤研究C(廣田)、米国国立衛生研究所R03(松本)、日本学術振興会・新学術領域研究、千里ライフサイエンス財団、稲森財団、住友財団(廣田)のサポートを受けて行った。
[発売雑誌と発売日]
米国神経科学会誌 Journal of Neuroscience
2011年7月13日号
論文タイトル:
Bcl11b/Ctip2 controls the differentiation of vomeronasal sensory neurons in mice.
著者:
Takayuki Enomoto, Makoto Ohmoto, Tetsuo Iwata, Ayako Uno, Masato Saitou, Tatsuya Yamaguchi, Ryo Kominami, Ichiro Matsumoto and Junji Hirota
【用語】
1)フェロモン分子
動物の体内から排出、分泌され、同種の他個体に特定の作用をする物質の総称である。動物社会においてフェロモン分子は、性成熟、異性の識別や生殖行動、また雄同士の縄張り行動、子育て行動などに重要な働きをしている。
2)鋤鼻(じょび)神経細胞
鋤鼻器に存在する感覚神経細胞である。発現するフェロモン受容体遺伝子ファミリーの種類によって2つのタイプGαi2-V1r型とGαo-V2r型鋤鼻神経細胞に分類される。
3)神経前駆細胞
特定の機能を有する神経細胞になる前の段階の細胞のこと。
4)Mash1遺伝子
匂い分子を感知する嗅神経細胞とフェロモン分子を感知する鋤鼻神経細胞のマスター遺伝子と考えられている。Mash1遺伝子ノックアウトマウスでは、これらの神経細胞はほとんど産生されない。
図.1 Bcl11bは鋤鼻神経細胞の成熟分化と脳への軸索投射に必須因子である。
図.2 鋤鼻神経細胞の運命決定のモデル
本件に関するお問い合せ先 |
廣田 順二
大学院生命理工学研究科 生物プロセス専攻 准教授 |
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TEL | 045-924-5830 |
jhirota@bio.titech.ac.jp | |
FAX | 045-924-5832 |
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