●概要
東京工業大学フロンティア研究機構・大学院生命理工学研究科の赤池敏宏教授らは、ES細胞(胚性幹細胞)やiPS細胞(人工多能性幹細胞)を大量に培養し、ほとんど均一な肝細胞へ分化させることに成功した。これら幹細胞を培養したままの形で成熟分化細胞に誘導するという世界初の技術であり、薬物毒性・代謝評価のための肝臓シミュレーターや将来の再生医療実現のための流れを促進する重要な成果といえる。
同教授らは細胞間接着を担う膜たんぱく質、カドヘリンを遺伝子工学によって改変して培養下地にすると、細胞が凝集することなく独立した形で培養でき、細胞の損傷なく大量に増やせる要素技術を開発。細胞がまな板に乗せられて料理されたようにみえることから「細胞用まな板」(Cell-cooking Plate)と名付けた。今回はこの技術を駆使してES細胞やiPS細胞を大量培養し、ほぼ純粋な肝細胞に分化させた。
また、この技術を使うとES細胞やiPS細胞の増殖と回収の実験操作は10回以上繰り返せることも確かめた。均一な単分散状態で増殖した細胞に対して、培養液に加えられた各種のサイトカイン(用語(i))、ホルモン、遺伝子、siRNA(用語(ii))などを均質に相互作用させることが初めて可能となった。 この研究は文部科学省科学技術試験研究委託事業「再生医療の実現化プロジェクト」の一環としておこなわれた。
●研究の背景
臓器移植や人工臓器による重症臓器疾患治療に代わる手段としてES細胞やiPS細胞を利用して臓器構成細胞を作る再生医療に対する期待が高まりつつある。しかし再生医療を実現するための課題は数多い。発ガン等の恐れのない安全性の高いiPS細胞の樹立は言うまでもないが、ES/iPS細胞の培養技術に関する問題点も少なくない。
従来法は図1に示すようにゼラチン上培養法にしても、フィーダー培養法にしても増殖した細胞が凝集するコロニー形成が避けられず、トリプシンなどの強力なタンパク質分解酵素による細胞分離処理が必要なため、回収ES/iPS細胞に大きな障害を与えざるを得なかった。また凝集塊中では細胞間相互作用と細胞基質間相互作用が不均質であるので、次のステップとして分化誘導したり、機能変換を行ったりする際にも添加されるサイトカイン類や遺伝子との相互作用が不均一となってしまうという欠点があった(図1)。
そこで再生医療の実用には(1)細胞を傷つけることのないストレスフリーな分離・精製法の開発(2)大量培養用にスケールアップされた低コストの増殖培養系の確立(3)異種成分のまじらないプロセスの確立(4)高効率な各種臓器細胞への分化誘導法の確立―など、質と量の両面における技術確立がカギを握っている。
これらの目標の達成には単に発生学や細胞生物学にとどまらず、化学工学やバイオマテリアル工学などの工学的分野との共同作業が不可欠となる。今回の同教授らの成果はこのような再生医療実現化のための流れを促進する重要な一石となる。
●研究の経緯
同教授らはこれまで細胞認識性の高いナノバイオマテリアル(細胞認識性マトリクス)の設計・開発を追求してきた。今回の成果はその延長線上に得られた画期的な成果である。
同教授らは細胞認識性分子の中で特に細胞間接着を担う膜タンパク質、カドヘリンを選び、遺伝子組み換えにより分子の頭部が親水性であるカドヘリンの細胞外部分で、尾部が疎水性が高い抗体分子の共通のシッポになるFc構造の組み合わせである融合タンパク質を設計。膜タンパク質で材料としては取り扱いにくいカドヘリン分子のキメラ抗体化によってE-カドヘリンの固定用バイオマテリアル化に成功した(図2)。
これによりE-カドヘリンFcの単分子吸着表面上ではES/iPS細胞を単一細胞レベルで接着させ未分化状態で増殖させることが可能となった(図3)。大量に増殖させた細胞は、カルシウムイオン(Ca2+)を除くこと(キレート剤処理)により容易に回収できることを見出した。
さらにE-カドヘリンFcの単分子状にコートした培養皿表面上ではES/EC細胞を単一細胞レベル(単分散状態)で接着させ未分化状態で増殖させることが可能であることを2006年国際誌「PLoS ONE」に報告した(図3)。この論文は最近まで4年間で7670件もダウンロードされるほど注目されている。
●今回の成果
今回、同教授らは京都大学の山中伸弥教授より供与されたマウスiPS細胞を含む各種マウスES/iPS細胞を、E-カドヘリンFcを下地に使うことにより細胞が均一に分散して大量に培養できること、さらに増殖した未分化細胞はカルシウムイオン(Ca2+イオン)を除くためのキレート剤処理により容易かつ無傷に回収できることを確かめた。これらの増殖と回収の実験操作は10回以上繰り返すことができることも分かった(図4)。
さらに特筆すべき成果として、このE-カドヘリンFcコート表面を用いて単分散で増殖させたマウスES細胞に対し、以下の条件で経時的に各種サイトカインを均一な系として相互作用させることにより90%以上均一な肝細胞への分化誘導が実現できた。
具体的には前述の基材上で増殖させた単分散状態でのES細胞に図5に示した手順でアクチビン・FGF・オンコスタチンM、デキサメサゾン等々の各種サイトカインやホルモンを加えることにより、単分散で接着状態にあった細胞のほとんど(90%以上)をアルブミン、アシアロ糖タンパク質レセプター、グリコーゲン蓄積等の成熟した肝細胞のマーカーとなる機能を有する細胞に分化誘導することに成功した(図5,6)。均一かつ単分散で肝細胞に分化した細胞をキレート剤処理等で回収することも容易である。
これらの操作はあたかもES/iPS細胞が「細胞調理用のまな板」(Cell-cooking Plate)にのせられて料理されたかのように見える(図7参照)。すなわち本研究は細胞を特異的に認識し固定できる様々なナノバイオマテリアルを設計・開発するという当研究グループの一連の研究成果の中で突出したものである。
以上のように、E-カドヘリンFcコート技術に基づいたES/iPS細胞の大量培養の成功は、高効率の薬物毒性・代謝評価のための肝臓シミュレーターへの道筋をつける重要な技術である。本研究成果はマウスES細胞(一部はiPS細胞)で得られた結果であるが、マウスES細胞生物学のしっかりとした基礎に基づいて展開されたものであり、この結果をベースにヒトiPS/ES細胞系への展開をはかっていく予定である。
●今後の展開
[1]本研究の成果により医薬開発用の毒性評価や薬理活性の定量的解析用、さらにはそれらを組み合わせたwholebodyチップ(用語(iii))を目指したい。肝細胞チップのみならず神経細胞チップや心臓チップの作製を追求することが可能になる。
[2]今回の成果はすべてマウスのES/iPS細胞でおこなわれたものである。ヒトのES/iPS細胞は細胞接着、増殖、分化の挙動においてマウスとは異なる点も多いので、今回の成果をヒト系にも拡張して再生医療実用化への道を探っていく。
【用語説明】
(i)サイトカイン:各種動物細胞に働きかけて、増殖の促進/阻害や分化のシグナルを送る一連の水溶性タンパク質分子の総称。
(ii)siRNA:DNAの有する遺伝情報が伝えられるメッセンジャー(m)RNAの機能発現をストップ(ノックダウン)する役割を有する小さな分子量のRNA分子。
(iii)wholebodyチップ:肝臓チップ、小腸チップ、神経チップ等々の主要臓器をモデル化した各種細胞チップをうまく並べてつなげるとあたかも体全体をシステム化して医薬の評価を完結させることができるはずである。この体全機能を再現するチップ(Wholebody チップ)の実現が期待される。
図1.
図2.
図3.
図4.
図5.
図6.
図7.
本件に関するお問い合せ先 |
赤池 敏宏
フロンティア研究機構 卓越教授 |
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TEL | 03-5734-5790 |
takaike@bio.titech.ac.jp | |
FAX | 03-5734-5815 |
URL |
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