ゲノムネットワークプロジェクトは,今後のポストシーケンシング研究の発展を目指して,平成16年度に開始された.同プロジェクトは国際レベルにある研 究ポテンシャルを活用しつつ,遺伝子の発現調節機能やタンパク質等の生体分子間の相互作用の網羅的な解析を行い,それに基づき生命活動を成立させている ネットワークを明らかにすることを目的としている.
このたび,ゲノムネットワークプロジェクトの支援のもと,東京工業大学大学院生命理工学研究科 白髭克彦教授らの研究グループが,株式会社三菱総合研究所,オーストリアのIMP研究所3)など国内外の研究グループと共同で,ヒト遺伝子を秩序立てて働かせるためにコヒ?シン1)とよばれるタンパク質が鍵を握っていることを初めて明らかにした.
本研究成果は,1月30日(日本時間1月31日)に「Nature」(Online版)にarticleとして発表された.
ヒトゲノムに存在する2万~3万の遺伝子が各々独立性を保ちながら秩序立って働くには,遺伝子間の相互干渉を防ぐ仕組みが必要である.相互干渉を防ぐ仕組みとしてインシュレーター(区切り壁)の存在が想定されていたが,その実態は不明であった.
今回の発見では
1) インシュレーターの構築にコヒーシンが必要であること
2) ヒトゲノム上には約13?000箇所のインシュレーター部位が存在していること
を明らかにした.
従来,コヒーシンタンパクはゲノムの分配2)に必須の役割を持つタンパクとして知られていた.しかし,コヒーシン欠損が原因で起きる病気として知られている,ロバーツ症候群,コルネリアデランゲ症候群4)で は,重度の四肢,神経の発達障害が見られるもののゲノムの分配に異常がみられないため,その分子病態は謎であった.今回,コヒーシンがインシュレーターの 構築に必要であるという発見により,これらの遺伝病が発生・分化過程での転写の調節異常により引き起こされることが強く示唆された.また,コヒーシンが増 殖しない分化した細胞(脳や心臓等の臓器を構成する細胞)でも発現していたことから,コヒーシンがその分配機能とは独立に,ヒトの遺伝子発現プログラムの 一端を担っていることが明らかとなった.さらに,ヒトで,インシュレーター部位を一挙に13?000カ所同定出来たことは,ゲノムを構成する機能ブロック を網羅的に明らかに出来たことになり,より体系的にゲノムを理解することが可能となった.
遺伝子治療などでは,新たな遺伝子をゲノム上 に導入して発現させなくてはならないが,従来は,導入された遺伝子がどうしても導入先の周りの環境の影響を受けてしまうため(専門用語では「遺伝子間干 渉」と言う),本来の遺伝子の機能が発揮出来ない場合があった.しかし,今回同定したインシュレーターにより遺伝子を発現単位ごとに区切ることで,こう いった周りの配列からの干渉を最小限に抑制し,多数の遺伝子を同時に安定的に発現させる技術の構築が可能になる.結果として,遺伝子治療だけでは無 く,ES細胞技術,動物細胞を用いた創薬等の物質生産が効果的かつ効率的に行うことができるようになる等,未来医療をデザインする上での突破口となること が期待される.
今回の発見では,白髭教授が中心となって開発した「ヒトゲノム上でタンパクの挙動を90ナノメートルの解像度で捉えることが可能な技術」(チップ-チップ法6))が用いられ(Nature? 2003? 2004? 2006),インシュレーターの構成要素と想定されていたCTCFタンパク質5)と コヒーシンタンパク質がヒトゲノム上で同じ場所に存在していることが明らかにされるとともに,遺伝子の転写においてコヒーシンがCTCF以上に重要な働き をしていることを明らかにした.このチップ-チップ法は,転写因子の結合部位を,ヒトゲノムの全体を余す所無く解析可能なDNAチップを用い,高精度で明 らかにする手法で,ゲノムネットワークプロジェクトにおいて,初めてヒトゲノム解析に応用可能な技術として確立された.また,今回の発見にかかる実験デー タは,今後,ゲノムネットワークプラットフォームのホームページ(http://genomenetwork.nig.ac.jp/)に公開される予定で ある.
用語説明
1) コヒーシン
姉妹染色分体の接着(複製された染色体を娘細胞に均等に分離するために必須な過程)に 中心的な役割を果たすタンパク質複合体である.リング状の構造をとり,リングの穴の中にゲノムDNAが通るような形でゲノムと結合していると考えられてい る.4つのサブユニットから構成されており,その構造と機能は,酵母からヒトまで保存されていると考えられる.
2) ゲノムの分配
細胞分裂の過程において,1つの細胞(親細胞)が分裂して2つの細胞(娘細胞)が生じる際,娘細胞が親細胞から,通常,1組ずつのゲノムのコピーを受け取 る.コヒーシンは,細胞分裂の過程でゲノムと結合し,このゲノムのコピーを1組ずつ受け取るというステップを確実にするためにコピーされたゲノムを分配す る時までつなぎとめるタンパクとして知られていたが,今回の発見では,このコヒーシンがインシュレーターの中心的役割を担っていることを明らかにした.
3) IMP研究所
ウィーンにあるResearch Institute of Molecular Pathology(分子病理学研究所)の略称.基礎医学研究を担うヨーロッパの代表的研究所.
4) コルネリアデランゲ症候群,ロバーツ症候群
共に1万人~3万人に一人程度の頻度で起こる,重度の四肢,神経の発達障害を伴う遺伝病.ともに,コヒーシンの欠損によって引き起こされることが示されている.
5) CTCFタンパク質
CCCTC-binding Factorの略.転写因子.インシュレーターの構成タンパクの一つと考えられている.遺伝子の父型,母型の刷込みにも関与している.この遺伝子の変異は,乳癌,前立腺癌等との関連が指摘されている.
6)チップ-チップ法
ポストゲノム解析技術として,頻繁に用いられる技術の一つにマイクロアレイ技術がある.マイクロアレイは通常,転写産物の網羅的定量に用いられるが,タン パクの結合部位の定量的同定に用いる方法がChIP-chipである.この方法はChIP(Chromatin Immuno-Precipitation;染色体免疫沈降法)とDNAチップ(chip)による検出を組み合わせて用いる.細胞内でDNAとタンパクを 固定後,結合位置を明らかにしたいタンパクに対する特異的抗体を用いて,染色体DNA―目的タンパク複合体のみを精製分離(染色体免疫沈降法とよぶ)し, 共精製されてくるDNA断片をDNAチップ上で検出する.この方法により,網羅的に目的タンパクのゲノム上の結合部位を検出することができる.従来は出芽 酵母等,比較的小型かつ単純な構造を持つゲノムの解析に用いられていたが,今回,初めてヒトゲノムで高精度にタンパク結合部位を決定する技術を確立し,用 いた.
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ChIP-chip法の概略 | ヒト ホメオボックス遺伝子領域 | インシュレーターのモデル |
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